共和政ローマ人物事典

➀ ルキニウス・ユニウス・ブルータス

在任期間 : BC509 (執政官)
出自/相関 : ルクレツィアの夫の友人で、タルクィニウスの甥。
治世 :
‣執政官制度を創設した。
元老院議員の数を300人に増やした。
‣王政から家長制共和政になり、自身の出世の機会が失われたことに不満を持ったブルータスの息子らがタルクィニウスを王に戻す王政復古クーデターを計画した。奴隷の密告で事前にクーデターを知ったブルータスは息子らを処刑した。
‣王政復古を諦めないタルクィニウスがエトルリアの諸都市と手を組みローマに侵攻した。ブルータスは騎兵部隊を、共同執政官のウァレリウスは歩兵部隊を率いて迎え撃った。ブルータスはエトルリア軍の騎兵隊指揮官でタルクィニウスの長男アルンテスと相撃ちの形で戦死した。戦いはその後、エトルリア軍の撤退で幕を閉じた。(シルウァ・アルシアの戦い)

 

➁ プブリウス・ウァレリウス・プブリコラ

在任期間 : BC509, BC508, BC507, BC504 (執政官)
出自/相関 : ルクレツィアの父親の友人。サビーニ人。
治世 :
‣BC509年はブルータス、ルクレティウス(ルクレツィアの父親)、ホラティウスと執政官のタッグを組んだ。ルクレティウスは老衰で亡くなり、ホラティウスは任期満了で執政官を降りた。
‣シルウァ・アルシアの戦いで歩兵部隊を率いて勝利し、ローマに凱旋した。
‣自身に対する民衆の不満を和らげるため、フォロ・ロマーノの丘の上に立つ豪華な自宅を壊し、ローマ城壁近くの地に建てた質素な家に引っ越し、出入り口は常に開けていた。
‣様々な法律を制定した。
1) 王の管理下にあった国庫を財務官が管理する。
2) 司法官の下した判決に対して、ローマ市民権を有する者は、市民集会へ控訴できる。(ウァレリウス法)
3) クーデターを企てた人物を殺しても、証拠があれば殺人を犯した者は罪に問われない。
エトルリア人たちの他国への流出により、国力が著しく低下した。それに伴い、近隣諸国との戦闘が増えていった。
‣オスティアの塩田でとれる塩の販売を個人から国家に移した。それによる商人たちの補償として彼らに課される間接税を減税した。そのことで、通商を新たに生業とする者たちが現れた。
‣他国人のローマ移住を積極的に受け入れた。
‣シルウァ・アルシアの戦いで敗れたタルクィニウスはエトルリア連邦に属するクルシウムの王ポルセンナを頼り、ポルセンナはローマに進軍し、ローマを包囲した。ローマのムキウスが敵陣に侵入し、ポルセンナの暗殺を試みるも失敗し、捕虜となった。自身を拷問にかけようとするポルセンナに対し、ムキウスは自ら自分の右手をろうそくで燃やした。この行動に感動したポルセンナはムキウスを釈放し、ローマにタルクィニウスの王位復帰とシルウァ・アルシアの戦いで獲得したウェイイの領土返還の条件付き和平を申し込んだ。ローマは後者のみ受け入れ、ポルセンナは了承した。

 

マルクス・フリウス・カミッルス

在任期間 : BC401, BC398, BC394, BC386, BC384, BC381年 (執政武官)
BC396, BC390, BC389, BC368, BC367 (独裁官)
治世 :
‣BC396年、エトルリア人の街ウェイイを攻略した。平民たちはウェイイをローマと並ぶ第2の首都にすることを提案したが、カミッルスは「ローマを捨てることはローマの神々を捨てることであり、ローマを離れればローマ市民ではなくなる」と反対した。そのため、平民たちはカミッルスを告発し、カミッルスはローマを自ら離れた。しかし、BC387年、ケルト人がローマを襲撃し、ローマを壊滅寸前まで追い込んだ。(アッシリアの戦い) ローマは身代金をケルト人に払い、撤退してもらったことで終戦した。その後、ローマ人たちは都市再建のためにカミッルスを呼び戻した。平民たちはローマを離れウェイイに移住しようとしたことがケルト人襲来を招いたと信じ、以降ウェイイの第2首都化を望まなくなった。

 

ティベリウス・センプロニウス・グラックス

在任期間 : BC215, BC213 (執政官)
治世 :
‣BC215年、ガイウス・オッピウスが護民官に就任した。彼はオッピウス法を制定し、女性の戦時下(第二次ポエニ戦争)の贅沢を厳しく制限し、半オンス以上の黄金の所持、多色の服装、二頭立て馬車の乗車などを禁止した。

 

クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・バリアリクス

在任期間 : BC123 (執政官)
治世 :

‣BC123年、グラックス兄弟の弟、ガイウス・グラックス護民官に就任し、穀物法を制定し、国家が穀物を低価格で安定的に国民に供給できるようにした。

 

ルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌス

在任期間 : BC58 (執政官)
治世 :
‣BC58年、プブリウス・クロディウス・プルケルが護民官に就任し、穀物を無料で首都住民に配給する法律(Lex Clodia frumentaria)を制定した。

 

To be continued